手のひら

悲しみを濁さなきゃ流さなきゃ逃がさなきゃ。悲しみを皺寄せすることで、心の余裕を取り持つ。そんなのは付け焼き刃。生活自体が付け焼き刃だと感じた。明日を生きるために、何が必要で何をしなければならなくて。遠い未来を考えてみたい。でも今明日明後日の手元しか見てない道の先が遠い未来で。地続きという夢のないリアルが突きつけられる。私はどこで立ち止まっているのか、どこへ目線を落として生活しているのか、それすらも濁して。

少し上を向いたら色が混ざったあの空が見えて、それは混ざっているのに濁りのない素直な顔をしていた。でも、本当に素直なのかも疑う。疑って疑って、そんな自分も疑って。褒めてくれる人もきっと真実は濁っていて、みんなで遠い何かを隠して笑っている。真実って、きっとどこにもなくて、だからこそあのアニメは腑に落ちる。そんなふうに当たり前で平凡な日常を疑って濁していくと意味を求めるようになってしまった。本当に大好きなものだけに力を注ぎたくなった。でも濁す癖がついてしまって、その好きなことに対しても斜めに見てる。クソダサえ感性なんてゴミ箱にぶち投げて、もう一回あの空を見た時に感じた気持ちを蘇らせたい。

たらればばかりで、自分を責めても

みんなもたらればで

成功者は自分は成功したと思ってなくて

まだまだいける楽しいって思っていて

とっても貪欲。図々しい。

だからこそ、私も貪欲に図々しく、

好きなものは手に入れて、懲りるまで

人生を貪り続ける。

それぐらいしなきゃ、悲しみは白にならない。

 

桜は白いのに、眼に映る桜はピンク

それくらい人の目は信用しちゃいけないの

鱈腹

東京に晴れも雨も関係なかった

 

晴れているから

雨が降っているから

そんなこと関係ない

 

関係なしに時間が進んでいる場所だった

 

東京駅はビルでいっぱいだったけど、

それよりも東京駅からまっすぐに広がる道路の先は

空がひらけていて、ビル1つなかったことに

感動した

ここは非日常が続いているから

ちょっとした日常を幸せに感じさせてくれる

すこし嬉しく感じた

みんなは感じているのかな

もしかしたら私だけかもしれない

都会を独占しているようで、にやけるね

 

あなたと一緒だったら、どこへ行っていたのかな

そこの君は退屈な彼女をどこへ連れていく?

ああだこうだと携帯を見合って、少し喧嘩して、決まったあの場所は

今でも人がいっぱい

あなたがいてもいなくても変わらないような場所

それはあなたにとっても同じなの

でもね、あの時見た景色はもう2度とない

センチメンタルな思い出がささくれみたいに

気になるの

 

目まぐるしく移動する中で

私の現実はどれかわからなくなって

1人になりたいわけじゃない

暇を作りたいわけじゃない

大事な人たちとハグしたい

そうしたら、きっと時間がまた流れる

根拠なんていらない

目の前にある情熱と愛情をぜんしんで感じたいよ

 

 

無題

誰にも会いたくないと思って、家を出た。そういう時の方がいいことがある気がする。誰かに良く思われたくて出掛けた方が、何かと災難に遭う。

みんなの時間の流れを知りたい。電車に乗ってる時間、たった30分でも朝から夜くらい長く感じる。これは少し大袈裟かも。でも、それくらい退屈で、電車の窓に映る自分の顔を見ちゃったり目の前の人の携帯画面見えちゃったり嫌だなあ。見たくないのに。こんなにぶすっとした自分の顔も、携帯に映る文面も。誰にも会いたくないのに、強制的に自分の余裕のなさを知らされる。

あーあ、退屈なだけなのに。

 

カレーパンの匂いを漂わせて、電車に乗る。

迷惑きわまりないけど、なんだかわからない。カレーパンが無性に食べたくて買ったんじゃない。今日までの自分が食べてみたいと思っていたから買った。

それだけだから、責めないで。

 

大学の建物を見て、自分の身分を自覚する。

風、強いな。そんなこともきっとここに来なかったらわからなかったんだ。君と会った、これもここに来なかったら笑えてなかった。

なんか面白そうなことも知り得なかった。

私は私であるけど、時間の流れが私を左右しているようで、なんだか危ない気持ちになる。

私が思っているより、時間というものは歪な形をして、運命というものは稀に起こらないと意味がないのかもしれない。だから、あなたと会えないのはきっとそういうことか。

稀だから、感動してしまう。稀だから愛しい気持ちが増すのかもね。でも予告してほしい。じゃないと、悲しみがこのまま自分の中に溶け込んで「普通」になってしまうから。そんな「普通」要らない。あなたと「普通」になりたい、ただその願いを稀に起こる運命という言葉で紛らわさないでほしい。

運命なんていらないから「普通」を頂戴。

図々しさから始まる、何かがあって、でもそれはそのことも気にしないような人が始めているのかもしれない。気にしがちな私はまだ内気で、待っている、図々しくなれない、そんな自分をどうにかしてほしいと、

また何かに刺激をもらい狼狽える。

 

このブログを書くようになってから、ファンができた。そのことによって、私は直感で書くことに少し臆病になった。

私の直感が、彼ら彼女らに残るのかわからなくて。

もう35個もブログがあった。おかしいな。

もっと少ないはずなのに、内容かな。でもその時の私を解放させていたのは確かだ。

いっそこのこと、私のことを何も知らない人にも読まれたいと思うようになった。

でもそんなこと、どうでもいい。

言葉というもの。そのものを大切にしている人に読んでもらえたらきっと私の言葉たちは、羅列された文字ではなくて、言葉として届くから。

こんな風に、カレーパンが匂うみたいに

臭いことをいつまでも頭に漂わせていたい。

 

キャラメル

口の中でスルスルととろけてしまった

この感情もスッとお腹に落ちていく

 

あなたは悲しい時、思い出に残るくらい美味しいものを食べなさいと言ったけど、

私はあなたと美味しいものを食べたい

 

そうしたなら、きっとどんなことも

とろけて消えてしまうだろう

 

今日は空がひらけている

青くなくて、少し白んでる

新しい風が吹くということは

こういうことかと思わせる

 

あなたから心配されたいと思っていたけど

なんだかそれはあまり優越感に浸れなかったみたいだ

 

あなたと何かを共有できるほうが

私にとっては幸福だった

 

今日も見慣れた街並みは続いて

少し離れた土地に私は踏み入れる

 

君は私を赤信号なのに引き止められなかったと

1人で嘆いているが、

きっと君が赤信号を渡っていたんだよ

混み合う道路、混み合う愛情なら

私は危ないと思ってきっと行かないよ

だけどね、閑散としている道路、無関心なら

私はスルスルと抜けて行ってしまう

 

そう、君が好きになった女はこんな女

君通りの展開はできないよ

バカじゃなくてごめんなさい

つまらない女なら他に探して

 

私は自分という存在を生活を感情を

楽しみたい、つまらないのは飽きるのよ

 

春を感じる私と冬のままの君

そういうことだったのね

 

 

真上の月

私が彼に「あ、月」と呼びかけたら、一緒に月を見上げた。あの瞬間がずっと残ってる。

「明日はスーパームーンらしいですよ」

「見れるといいね」

私は明日雨が降ること知ってた。だけど彼といるときは、晴れていることを願う。

なぜならあなたが晴れて良かったと喜んでくれるから。

あなたのその笑った顔が好きだよ。

もっと笑わせたい。

私の目を見て話してくれる。

一度も目を離さずに、たまに褒めながら

聞いてくれる

ちょっといたずらな顔が好きだ

 

手が大きいあなたと手のひらを重ねたとき

この人の優しさに包まれたいと思った

 

私が溢れないようにすくってくれる

そんな手を持った少し寂しそうで優しいあなたに

私はとことん甘えたくなった

料理を取り分けるあなたもタバコを吸うあなたも

私だけの時間

 

コインロッカーに荷物を今までの私を

ぎゅっと詰め込んでさよならしてきた

 

これからあなたと会う私は

あなただけの私になるって

 

そんな気持ちであなたを待って

まだ知らないあなたをたくさん知れた夜

 

知ってしまったばかりに

もう会いたくなっている

あなたの優しさに触れたい

 

包まれたいと思ったのは、初めて

プッと吹いて笑うあなたの笑いジワを

私だけしかしらない空間を

終わらせたくなくてずっと笑わせてあげたい

 

あなたに包まれるお返しに笑顔をあげたい

私にできることなんてそれくらいかな

それ以上だったらまた目を見て話してほしい

 

悲しみを背負っている人がやっぱり好き

悲しみから生まれる優しさは本当の愛だから

信じられる、その愛だけは信じてもいい

 

この時間が深く根っこのように

広がっていけばいいな

 

あなたが少年に帰る時も

大人になる時も笑ってそばにいたいな

 

私の心の少女がずっと待ってる

待ってちゃだめだから

代わりに私が動くよ

 

待っててね私

あなたのスーツが今もときめかせるの

飽き性な私を

 

人はきっと悲しみを抱いている時の方が、

生きていることを深く実感すると思っている。

幸せだと感じる時、嬉しいと感じる時が、一瞬でもっと余韻が続けば良いのにって。

でもその時はきっと幸せで嬉しさで身体中が

いっぱいだから、他に何も考えられないんだろう。

それに反して、悲しみで身体いっぱいになったらきっと苦しい。だから、息苦しくて息をしようと意識して呼吸をする。その瞬間に「生」という感情が身体にそっと染み渡る。これが深く実感する理由じゃないのかと考える。

 

私はきっと、気にかけてくれる人が好き。

インターンシップにも大学にもバイト先にも足繁く通った。そして言われる1つの言葉、「しっかりしてるね」。そんな人間じゃない。

ただプレッシャーや責任を形にして行動しているだけ。

先日占い師に言われた。

「あなたの中にまた別の人間がいるから、どっちの人間を取るか決めなさい。」

 

ふざけんなよ。心が1つの人はいるの?その時見透かされているような口調で決断を迫ってきた。お前なんかにと上から目線の自分も出てきた。謙虚であるのは大前提。だけど私という心にずかずかと入り込むのはお断り。

だってあなたの言った通り2つの心があるから。

 

一年に一度だけこの時期に会える人たちが、

たくさんいる。その人たちに会うのが私の毎年生き延びる1つの理由でもある。

ああ、頑張って今年も会えたって。

彼はもう出会うべき人に出会って結ばれて、裏表のある社会人。表の姿には、感服するくらいのメリハリがあって尊敬できる人。裏の姿には、悲しみを感じる。そんなに無理しなくてもいいのにって自分を慰めるように思う。

そんな人が私を気にかけてくれる。

余裕のある悲しい人。悲しみを凝縮すると、余裕ができるのね。笑えちゃう。

だからこそ、私が悲しみにくれた時、

彼の悲しいあたたかみが欲しい。

そのお返しに私は情熱で返したい。

彼が心から笑顔で居られる瞬間を作りたいと、

密かに思い願う、そんな時期。

 

今日はあったかくなるとニュースで言っていた。

もう直ぐ、私の大好きな桜が咲く。

桜並木をゆっくり少し立ち止まったりなんかして、

眺め続けたい。散りゆくまで。

 

はやくして

私は、最果タヒさんの詩が好き。

タヒさんのツイートを引用して「生きていることが寂しい」とツイートしている人を見た。なんで寂しいんだろう。わたしたちは、ぽかぽかの胎内ですくすくと大きく育ってこの世に生を得た。そして、あたたかな愛に包まれて育ってきたはずなのに。どうして、こんなにも寂しいんだろう。わたしのこと好きじゃない世界ならわたしはこの世界が嫌い。

あたたかな気持ちになれるのは冷たくされるから。寂しいのはしあわせを知ってるから。しあわせは生まれた時からきっと内側にあって、寂しさは年齢によってずるずる引き出される。

内側のしあわせを守るために、外側を気にする。何がしあわせでふしあわせか。わからない。その場しのぎでいいや。嘘ついても、これで寂しさが少しでも紛れたらいいの。

でも寂しさは、計り知れなかった。もはや寂しさが一人歩き。しあわせは1人で歩かない。ちゃんとわたしも連れていってくれる。だけど、寂しさは置いてけぼりにするの。もうほっといて。誰も見つけないで。ここにいることが恥ずかしい。誰かじゃなくてあの人に見つけて欲しい。ずっと、抱きしめて欲しい。きっと生きていることが寂しい気持ちは、すぐにしあわせが返ってこないから焦らされてるような気持ちからじゃないかな。それもまたわからない。わからないを探す。わからないがしあわせ。わからないことが寂しい。わからないことがあの人とわたしのため。寂しい未来。これが今はしあわせ。ばかみたい。それでもいい。これもわたしの計算なの。気づいてほしいのはあの人だけ。

 

早く迎えにきてって何度も連絡してるのに。