手のひら

悲しみを濁さなきゃ流さなきゃ逃がさなきゃ。悲しみを皺寄せすることで、心の余裕を取り持つ。そんなのは付け焼き刃。生活自体が付け焼き刃だと感じた。明日を生きるために、何が必要で何をしなければならなくて。遠い未来を考えてみたい。でも今明日明後日の手元しか見てない道の先が遠い未来で。地続きという夢のないリアルが突きつけられる。私はどこで立ち止まっているのか、どこへ目線を落として生活しているのか、それすらも濁して。

少し上を向いたら色が混ざったあの空が見えて、それは混ざっているのに濁りのない素直な顔をしていた。でも、本当に素直なのかも疑う。疑って疑って、そんな自分も疑って。褒めてくれる人もきっと真実は濁っていて、みんなで遠い何かを隠して笑っている。真実って、きっとどこにもなくて、だからこそあのアニメは腑に落ちる。そんなふうに当たり前で平凡な日常を疑って濁していくと意味を求めるようになってしまった。本当に大好きなものだけに力を注ぎたくなった。でも濁す癖がついてしまって、その好きなことに対しても斜めに見てる。クソダサえ感性なんてゴミ箱にぶち投げて、もう一回あの空を見た時に感じた気持ちを蘇らせたい。

たらればばかりで、自分を責めても

みんなもたらればで

成功者は自分は成功したと思ってなくて

まだまだいける楽しいって思っていて

とっても貪欲。図々しい。

だからこそ、私も貪欲に図々しく、

好きなものは手に入れて、懲りるまで

人生を貪り続ける。

それぐらいしなきゃ、悲しみは白にならない。

 

桜は白いのに、眼に映る桜はピンク

それくらい人の目は信用しちゃいけないの