いつものお願いします

段階を登る、階段を登る、そんなふうに人は成長するが、大人になると何かしっかりと来なくなった。

恋愛の話が主にはなるが、「いつも」って凄くハードルが高い話だと思う。

付き合いたての「いつも」の彼・彼女の言動は、最初で最後のハイグレードのものだ。

それなのに、それを「いつも」と私たちは言い続ける。

「いつも」を裏切るのは時の経過。

人は悪くない、時が悪い。そう思うように人はなる。

(きっと誰も悪くないけど、「いつも」を裏切らないようにみんな頑張って生きてる。私もだ。)

彼は決まって「一緒」「いつも」の日常に恋人を存在させることがお決まりだった。

だからこそ、その「一緒」が減ってしまうようになったり、恋人の「いつも」の行動が変わってしまうと過敏に感じ、考えを巡らせる。

 

「いつも」はたいてい悪い方向に転がる。

 

なぜなら、良い方向に「いつも」が裏切られたら

人は「ラッキー」「今日はいい日だ」と思うからだ。

悪い方向に「いつも」が破られた時は

「最悪」などと言う感情ではなく、呆れ・憤り・悲しみ、とても言葉にしにくい

そして人に伝えにくい(特にその張本人には)感情に襲われる。

 

「日常」と「恋」を絡ませると大変厄介である。

それなのに、その先に「結婚」などという形ある愛(愛に形はないからこそ、この枠にはめたがるものだと思っている)があるというのだ。

常に彼が自分の手の中で転がすように生きていく、そんな彼はきっと安心感を得るのか

はたまた全て知ってますというあなたに対して感情が満ちて飽きてしまうのか。

 

裏切られると言う感情は

相手を信じているから、そう思ってしまうと

芦田愛菜ちゃんは言っていたが、もう一つあると思う。

過去の印象が一番よく、それを相手に求めてしまう。時間経過していたとしても、変わらない私とあなたであり続ける、現状維持を求めている。

それは時間よ、進むな!と言わんばかりに

時間は進んでしまうけれど、あなたは進まないで!離れていかないでというある種の執着とも思われる。

 

自分は常連だと思い込んでたお店で

「いつもの」と注文した時、「えーっと、どちらでお決まりですか?」と聞かれるほど悲しくて恥ずかしくて消えてしまいたいことはこれからあるかもしれない。

 

その時に、「いつも」が相手に対して

自身の理想を共有(段々と強要)しようとしていることを

忘れないでいようと思う。

「いつも」が崩れた時に憶測だけで頭が不安で一杯にならないように

「いつも」を壊す、予定調和大嫌い人間になろう。

 

そうしたら、ラッキーに過ごせると

また私はいつものように言葉で頭をいっぱいにする。

いつもじゃない、幸せだ。