新幹線

何人組ものカップルが新幹線のホームでわかれるところを見た。別れは悲しいけど、私から見たら美しいと思った。出発してしまう最後まで手を振り続ける。何も話さない。ただ見つめ合って、手を惜しみなく振る。愛ってこういうことなのかなってわかったような気がした。人と人が繋がる気持ちは目に見えないからわからない。疑ってしまう。だけど、別れを大切に丁寧にできる人はきっと優しいような気がする。

出会いと別れ、良くも悪くも覚えてる。体の中にいくつもの思い出、汚れとしてこびり付く。

 

平和な令和が来るかどうかもわからないのに、みんな喜んでる。みんな知ったかぶって万葉集を話す、読む。本質本質本質、何処にもない。

元号は流行りじゃない。ブームじゃない。それでも希望を持ってみんなが新しくなるならそれでいいんだ。それでいいのかな。疑う癖はみんなに嫌われちゃうかな。盛大にバカでいたい。バカだとわかっているバカでいたい。無意識なバカほど愚かなものはないと見下しているから。そうしないと、きっと躓いて社会の沼落ちてしまうから。人と人が絡み合うようなそんな沼に。いつのまにか、自分が自分じゃなくなるんだ。人が自分の中にのめり込んでしまって、1年前の自分が自分じゃなくて、今の自分が今じゃないみたいに、どんどん嫌いになっていく。なんで、なんで人は恋焦がれるのかどうしてこんなに苦しいのかもわからない。もう全部どうでもいい。否定が自己肯定。あれもう何言おうとしたっけ。大事な気持ちも、どうでもいい。大事なものなんて結局。こんな諦めがダサいんだよ、そんなことも知らないバカが自分のことバカだと思ってないバカなんだよな。

そんなことも誰かのブログ見なきゃわかんない。誰かに言われないとわからないくらい自分でキャパオーバー。毎日目まぐるしく、芸能ニュースやSNSで首を絞める。苦しい、だけどこうしなきゃ生きてることがわかんない。一回自分を殺した人間は自分のキャパオーバーさえもわからないまま限界突破する。そんな人間に凡人が敵うわけないんだよ。ムカつくなら、心を殺してみてごらん。何も切れない何も捨てられない、そんな子どもには発言の権利すら守られない。生きるって戦うだよ。戦うことから逃げて、誰かに頼ってばかりで悔しい気持ちももうないのか。考えるのやめよ。もうやめよう。

生きるのって幸せなこと。そうやってみんな言ってる、先生も言ってた。だから、だから、期待したんだよ。

 

私は何も悪くないの。周りが全部悪い。