人はきっと悲しみを抱いている時の方が、

生きていることを深く実感すると思っている。

幸せだと感じる時、嬉しいと感じる時が、一瞬でもっと余韻が続けば良いのにって。

でもその時はきっと幸せで嬉しさで身体中が

いっぱいだから、他に何も考えられないんだろう。

それに反して、悲しみで身体いっぱいになったらきっと苦しい。だから、息苦しくて息をしようと意識して呼吸をする。その瞬間に「生」という感情が身体にそっと染み渡る。これが深く実感する理由じゃないのかと考える。

 

私はきっと、気にかけてくれる人が好き。

インターンシップにも大学にもバイト先にも足繁く通った。そして言われる1つの言葉、「しっかりしてるね」。そんな人間じゃない。

ただプレッシャーや責任を形にして行動しているだけ。

先日占い師に言われた。

「あなたの中にまた別の人間がいるから、どっちの人間を取るか決めなさい。」

 

ふざけんなよ。心が1つの人はいるの?その時見透かされているような口調で決断を迫ってきた。お前なんかにと上から目線の自分も出てきた。謙虚であるのは大前提。だけど私という心にずかずかと入り込むのはお断り。

だってあなたの言った通り2つの心があるから。

 

一年に一度だけこの時期に会える人たちが、

たくさんいる。その人たちに会うのが私の毎年生き延びる1つの理由でもある。

ああ、頑張って今年も会えたって。

彼はもう出会うべき人に出会って結ばれて、裏表のある社会人。表の姿には、感服するくらいのメリハリがあって尊敬できる人。裏の姿には、悲しみを感じる。そんなに無理しなくてもいいのにって自分を慰めるように思う。

そんな人が私を気にかけてくれる。

余裕のある悲しい人。悲しみを凝縮すると、余裕ができるのね。笑えちゃう。

だからこそ、私が悲しみにくれた時、

彼の悲しいあたたかみが欲しい。

そのお返しに私は情熱で返したい。

彼が心から笑顔で居られる瞬間を作りたいと、

密かに思い願う、そんな時期。

 

今日はあったかくなるとニュースで言っていた。

もう直ぐ、私の大好きな桜が咲く。

桜並木をゆっくり少し立ち止まったりなんかして、

眺め続けたい。散りゆくまで。